2010年11月08日

特集「いちからわかる北方領土」

2010年11月7日付の朝日新聞、朝刊の3面に特集「いちからわかる北方領土」が掲載された。

この内容で、本当に一から分かるのだろうか。

特集では、国境の変遷を地図で紹介している。

1855年、日露通行条約では、択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認。

1875年、樺太千島交換条約で、サハリンをロシア、千島列島を日本のものにした。

千島列島はカムチャッカ半島の近くまでいっている。

1905年、ポーツマス条約、日露戦争終結時の条約では、サハリンの南半分が日本のものとなった。

1951年、サンフランシスコ条約で、日本はサハリンの南半分を放棄。

そして北方領土四島までを日本領として描かれ、その他の島は放棄したことになっている。

この地図の説明では、この時点で、日本人は四島が日本のものと思ってしまう。

そう思わせている。

しかし、本文を読むと、少し事情が違う。

1956年、日本とソ連は、日ソ共同宣言を結び、国交を回復した平和条約締結後に歯舞、色丹ニ島を日本に引き渡すことが決まった、とある。

これで、決着がつくはずが、そうならなかった。

朝日新聞の説明は、「冷戦を背景に米国が強く牽制。保守合同で55年に生まれた自民党も四島返還を党の方針としたため、平和条約はできなかった」とした。

この説明は十分ではない。

元外務省の佐藤優さんは、アメリカのダレス国務長官が日本政府に対し、「北方ニ島なら、アメリカは沖縄を返さない」と迫ったと言う。

それでは、二島を返還するつもりのソ連も、態度を変えることは目に見えている。

それで、前原誠司・沖縄北方担当相(当時)が、「不法占拠」発言すれば、二島返還ですら、ますます遠ざかることぐらい、誰だって分かりそうなものだが、大臣に本当に解決しようという意志があるのだろうか。

地図だけ見れば、読者を北方領土の理解について間違った方向に導く。

それが国民世論となって、ますます北方領土問題の解決を難しくする。

読者もリテラシーを高めたい。
posted by madam at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 朝日新聞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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