2004年03月07日

国際連合・国連改革

国連は欠陥だらけ、といわれる。

国連は恒久的な世界平和を望むことはできない。

しかし国連を否定してよいものか。

むしろ国連を評価し、支持し、平和のために、一層の国連改革に努力すべきでは。

国家主権の制限は、主権国家が最も恐れる。

特にアジア、アフリカ諸国には、ヨーロッパ列強による植民地主義の受難の歴史がある。

アジア、アフリカ諸国が民族解放でようやく勝ち取った苦難と独立と民族自決の原則は、主権国家として易々と譲ることが出来ない。

大国の内政干渉を常に受け、主権を蹂躙されてきた小国には、その警戒は特に強いであろう。

それゆえ国家主権は極力制限して、軍事力のみを制限して、国連の権限を強化しながら、世界連邦へ移行することが重要となる。

いかなる独立国も、共通した平和と安全の問題を除いて、自国民に対して、あるいは各国の独自の制度や体制に対して、固有の権限を保持していけるシステムを保証して、各国、国民の信用を得なければ、国連改革、国連改組は進むべくもない。

一国一票制、安保理の拒否権、国際司法裁判所の義務的管轄の問題など、これらの問題をどのように改革していくのか。

この問題の解決なしに、世界平和は訪れない。

極めて困難な道のりだが、進むしか人類に未来はない。

参考文献:平和の条件ー世界連邦の目標と構想(中日出版)
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2004年03月06日

国連改組・総会と安保理

国連総会の決議は一国一票による。

人口13億人以上の中国も、人口1億3千万人の日本も、1票の議決権しかもたない。

その一方、人口2万人足らずのパラオでも1票の議決権を持つ。

中国やアメリカと、パラオやリヒテンシュタイン(人口32,015人、うち約34.8%が外国人)が同じ1票では、大国は総会での決議に拘束力を与えるはずがない。

それを人口比に応じて、中国に1000票、日本に100票、小国に1票というように国連憲章を改正しようにも、そもそも国連は一国一票制に立脚しているため、それを改革することは、まず不可能に近い。

それをあえて試みれば、国連から小国など脱退国が続出することに。

現在の国連総会は参議院として残し、新たに各国の人民による人口比に応じて選出する、いわば衆議院を設置して、国連を二院制にしたらどうだろう。

そして安全保障理事会の信頼性と公正さも確保されなければならない。

当面、拒否権行使の制限として、少なくとも事実調査委員会の任命、新加盟国の承認、常任理事国の一国が紛争当事国である場合の紛争解決と紛争解決家庭における兵力引き渡し軍の使用承認などについては行うべき。

安保理はまとまってはいないが、今ならその可能性が残されていないわけではない。

世界を見渡せば、批判はあっても、世界平和構築には国連しかないのだから。
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2004年03月05日

国連改組・PKO

国連の平和維持活動PKOは、あらかじめ紛争当事国の双方の同意を原則にしている。

そのために戦争が起きてしまった後にPKOが出動ということに。

だが、ときすでに多くの人々が死傷してしまったり、紛争も悪化、事態も複雑で、容易に問題が解決されえない。

それゆえこの同意原則は疑問。

パルメ委員会は「紛争当事国の一方の同意で足りる」と提案、当時のガリ事務総長も「平和の課題」で、それを提案。

その確立をやはり目指すべきかも。

戦争が開始される前に紛争地点に出動してこそ、問題の困難化を未然に防止するから。

PKOは米ソ冷戦、拒否権行使が生んだ苦心の作。

今日の国際社会の現状からすれば評価されるべきものだが、決して満足しうるものではない。

なぜならPKOは主権が依然、国家のもとにあるから。

このPKOによる国連部隊は、各国の軍隊の寄せ集めによっているが、国連によって直接募集された部隊により国際公務員の地位で構成されることがよい。

平和維持の専門訓練を受け、国連に忠誠を誓う個人の資格による常設の集団組織となる。

国家に代わって、その国の安全を保障する、この世界警察が、世界の平和と安全の秩序維持にあたる。

日本の社会は自分の身の安全を警察に委ねているように。
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2004年03月04日

国連改組・国際司法裁判所

日本では、原告が訴訟を起こせば、被告が必ず応訴をしなければならない。

被告が嫌だと言って、裁判所に出廷しないと、原告の言い分が通ってしまう。

だから裁判に応ずることになる。

そこで裁判が始まり、判決も下る。

これにより問題はひとまず解決する。

これが国際社会だとどうなるのか。

国際司法裁判所がハーグにある。

国家間に紛争が生じた場合、<あ国>が訴訟を起こす。

相手国の<い国>は、必ずしも応訴する義務はない。

相手国<い国>は、応訴してもいいし、しなくてもいい。

相手国<い国>は裁判で不利と見れば応訴しない。

小国が大国に侵害された場合、小国はこの裁判所に訴える。

だが大国は裁判に不利と見れば、応ずるわけがない。

それゆえ裁判所といっても、この裁判所は重大な欠陥がある。

また相手国<い国>が応訴して、裁判が始まり、判決が下るとしよう。

<い国>は、その判決に従わないとする。

判決を履行しない。

敗訴しても、これに応じないことがまかり通っている。

判決が下って、従わないとしたら、こんな裁判に意味があるの?

これが国際社会の現状。

これでは国際社会に社会正義が実現されるわけがない。

これを、訴えたら必ず応じなければならない強制管轄の裁判所にすること。

それで裁判が始まり、判決が下る。

その判決に従わなければ、強制執行する世界警察が登場する。

この体制を構築することが、恒久的な世界平和実現への近道なのだ。

参考文献:平和の条件ー世界連邦の目標と構想(中日出版)
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